FC2ブログ

Latest Entries

バリー・マニロウ

片田舎の公務員でも洋楽は聴くのだ。

バリー・マニロウと言うと、日本では「コパカバーナ」が有名だ。ラテンのアップテンポなリズムのこの曲は、アメリカや日本だけでなくて世界中でかなりヒットしたのだが、個人的には「Even Now」という曲が一番のお気に入りだ。

そもそもこのバリー・マニロウという人、1943年6月17日(あ、なんと今日だ!!)という生まれというから、66歳。けっこう油っこい顔(ロシア系だそうだ。)で、日本人にはきつすぎるのかテレビで見たりすることもあまりないのだけど、ラスベガスあたりではたいへんな人気だ。独特な流し目で向こうのおば様方にはスーパースターなものだから、個人的には”ベガスの杉 良太郎”と呼んでいる。

さて、この「Even Now」だが、新しいパートナーがいて幸せな暮らしを持てたのに、「今でも」(Even Now)君のことを思って、君の面影が僕を傷つける、この気持ちを君は知っているだろうか、というとんでもない女々しい歌。
1978年、コパカバーナと同じ年の発売なので、多分日本でもその頃にコパカバーナと一緒に紹介されたのだろうと思うけど、実は、まさにその頃、若かった私は大失恋をして、その後に新しい彼女とつき合い始めた時期。
「Even Now」-今でも、というシンプルなフレーズで始まる歌詞は、何度か聴くうちに少しずつ意味が理解できるようになり、「これって俺のための曲じゃん!」ということで大のお気に入りになった。

歌の大まかな意味は上に書いたとおりだけど、歌詞は何十回も聞いて耳で覚えていただけだったので、改めてアメリカのサイトから歌詞を見てみて驚いた。見事に韻を踏んだきれいな歌詞になっている。

Even Now

著作権の関係が気になるので、歌詞はネットで見てもらうことにして、まず1番から。
2行目のcaresと4行目のstairs、3行目のmeと5行目のsee、7行目のrightと9行目のnight、8行目のhadと10行目のbadと全ての行で完璧な韻踏みになっている。そして意味も完璧。

コーラスの部分は、1行目と2行目、3行目と4行目、5行目と6行目で韻が踏まれている。

2番も1番と同様に2行目と4行目、3行目と5行目で韻が踏まれている。そしてやはり美しい歌詞。

いやー、凄い。
改めて感動しました。
スポンサーサイト



「厚生労働省崩壊」?-私が言っているわけではない

改めて見てみると、去年の10月以来記事を書いていない。
もっともこういうおやじのぼやきの記事なんて、読みたい人がいるとは思えないので、書かなくても別に何の害もない。

さて、改めて書いてみるのはやはり厚生労働省ネタ。

木村盛世氏という厚生労働省の医系技官がいる。5月28日に参議院予算委員会に野党側の参考人として出席して、勤務先である厚生労働省の新型インフルエンザ対策を批判して一躍時の人になった。
木村氏には「厚生労働省崩壊-「天然痘テロ」に日本が襲われる日」という著書があると聞いて、amazonで探してみた。

今のところ本は買っていないので、内容についてのコメントはないのだけど、この本のブックレビューがえらく面白い。

3月31日に出版されたこの本のレビューは、6月5日現在、全部で16件。最初のレビューが4月3日で、一番新しいのが5月29日。おすすめ度の平均は3.5。内訳は、星5つが7件、4つが2件、3つが4件、2つが1件、1つが2件。

全体の傾向としては、ただ一人星2つをつけた「aeneis_jp」氏の「この本の評価が分かれているのは、医学的には内容が笑止であるのだが(低評価の場合)、厚生労働省の技官・事務官のある程度の部分が抱えているしようもなさを指摘している(高評価の場合)ためだろう。」ということになる。この「aeneis_jp」氏、シェーバーのレビューを書いているので男性だろうとは思うのだが、この本のレビュー以外は音楽CDのレビューばかりなので、何でいきなりこの本のレビューを書いたんだろう。大学の教員との事だが、なぞだ。

面白いもの第1は、星1つをつけたお二人のうちの一人、「ひろ」氏のレビュー。
「aeneis_jp」氏のレビューで「医学的には内容が笑止であるのだが(低評価の場合)」と書かれてはいるのだが、実はこういうことを言っているのはこのひろ氏だけである。星1つをつけたもうお一人「木っ端微塵子」氏は、医学的な内容には全く触れておらず、職業人としての官僚のあり方について述べたものだ。また、2005年の10月には「臨床研修の現在-全国25病院医師研修の実際」という本のレビューを書いていて、内容からすると医師か医療関係者だと思われるが、この方は木村氏の著作の医学的内容には全く触れていない。

問題の「ひろ」氏。4月11日に「独りよがりな文芸作品」と題して、「この著者は感染症の知識がありません。間違ったことばかり書かれています。内科医なら誰でも気がつくはずです。読後感は大変不愉快でした。知識がないのに知識があるかのように、それどころか専門家であるかのように強弁して「私はこんなに正しい。周囲は無能」と言い切る生き方が大変に哀れでした。 」と書いている。上にも書いたけど、高評価も低評価も含めて医学的な話をしているのはこの「ひろ」氏だけ。

仮に「ひろ」氏が書いていることが真実なら、そういう人が検疫官をやっているこの国が恐ろしくなる。ある意味では、そのほうがはるかに厚生労働省を批判する材料になるのではないだろうか。もしかして、「ひろ」氏はそこまで深い考えで書いているのか、と悩んでしまう。

「ひろ」氏よりももっと面白いのが、レビューにコメントしている「暴露本比較人」氏。
この人、5月7日にレビューへのコメントを始めてから5月8日にかけて、「厚生労働省崩壊」を支持するレビューにはこれを茶化すコメントを、批判的なレビューにはこれを支持するような、一言コメントを載せている。コメントの内容からしてちゃんと本を読んでいて、医師かどうかはわからないが医学的知識はある、と見せたいようだ。

ただ、この人「暴露本比較人」と言いながら他の本のレビューは全く書いていない。というよりは、レビュー自体を全く書いていない。ご本人のプロフィールもなくて、「SDHC対応USB2.0カードリーダー/ライタ」と「変換基盤SATA→IDE SATADIDE」がほしい物リストであるだけ。
この人なんで、こんなコメント書いているんだろ。ただのアラシか?

ところで、この5月8日という日付は実に興味深い。3人の高校生が、国内初の新型インフルエンザ患者だと成田で見つかったのが5月9日なのだ。

「暴露本比較人」氏が、なぜ5月9日以降コメントを載せなくなったのか。ぜひ聞いてみたい気がする。だれかこの人知りませんか?

保険者って

 この前のエントリーの続きを少し書いてみる。

 数字のマジックで「平均の罠」というものがある。
 今回の後期高齢者医療のことでもそうなのだけど、「平均すると全国で○○%(多数)の人が保険料が下がった」と説明されると、「ああそうか、じゃあ仕方がないか」というように納得させられてしまうのだが、これはあくまでも平均であって、当然、中には保険料が上がった人もいるわけだ。
 そして、下がった人は文句は言わないんだけど、上がった人は当然のように文句をつけてくる。

 国保を都道府県単位で一本化したらどうなるか。
 どこの都道府県でも、その中の市町村の保険料は高いところと安いところがある。
 保険料は、給付費(医療費として国保が支払う額)を基準にして計算され、給付費は、その市町村の医療機関の状況や保健事業の実施状況、その他諸々の理由でバラバラだから、保険料に差が出るのは当然のことだ。
 その保険料が、保険者を都道府県単位で一本化したら「原則として」同じ保険料になる。
 ということは、当然ながら安くなるところもあるし、高くなるところも出てくるということだ。

 その高くなったことの説明は一体誰がやるのか。当然、保険者である都道府県だ。そして、そのときはこう言うしかない。
 「すいません、国が制度を変更した結果なんです。文句があるのでしたら、国に言ってください。」
 制度の設計に関与していない都道府県としては、これ以外に説明の仕様がない。
 そして、今年の4月に起こった騒ぎがまた起きる。

 国が保険者になっても同じことが起きるだろう、というかもしれないけど、大きな違いは、制度を設計した本人が説明責任を負うということだ。
 「保険者」というのはそういうことではないだろうか。

 最近話題になった損害保険や生命保険の保険金の未払い問題。
 代理店の説明不足が原因の部分もあっただろうけど、特約などで商品自体が複雑になりすぎて、代理店もちゃんと処理できないことが指摘されたら、そういう商品を作った保険会社がちゃんと謝ったではないか。ちゃんと説明できなかった代理店が悪い、と開き直ったトップがいたか?

 振り返って、我が○生○働大臣は、政令や省令を施行半年を切ってから出したことはすっかり忘れて、「市町村の説明不足」「都道府県の指導不足」とおっしゃった。

何度も言うけど、制度設計に権限がない人には、制度の責任は負えない。

やっぱり責任はとらないんですね

 舛添厚生労働大臣が、国保を都道府県単位に再編する私案を出したそうだ。
厚生労働大臣のインタビュー

 このこと自体は、これまでも厚生労働省がずっとやろうとしてきたことで、目新しい話ではない。また、既に政府管掌健康保険も都道府県単位にしたのだから、それにならってと言うこともあるだろう。
 厚生労働省の言い分はいろいろあるのだろうが、やり方と言い方が姑息に感じて仕方ない。

 舛添大臣は「イメージとしては、国保が県民健保に変わると思っていい。」と言っているけど、そうなんだろうか?国保は「国民」健康保険と言っているが、実態は「市町村民」健康保険だ。もし「国保が県民健保」に変わるというのなら、その前段として国が保険者になって国民のために運営する「国民」健康保険になるべきではないだろうか

 厚生労働省は「市町村単位では医療費の差が大きいが、都道府県単位では小さいので都道府県単位に再編したほうが良い」というけど、なら、国の単位で見たら差はまったくゼロになる。つまり、国の責任で保険を実施すれば、すべての国民負担を平等にしてもらえるんじゃないか。

 国は、こういうことになると「いまさら国がやるのは、地方分権の流れに反する」と都合よく地方分権を持ち出してくるだろうが、そもそも今の国民健康保険制度は、都道府県や市町村が自主的に運営する余地は全くと言ってよいほどない

 大雑把に言うと、医療保険制度は(1)給付する医療サービスの範囲と内容を決め、(2)それに必要な費用を計算して、(3)費用に見合う保険料を決定し、(4)その保険料を徴収する、という四つの段階で成り立っている。
 このうち、給付する医療サービスの範囲と内容は国民健康保険法第45条第2項で「健康保険法第67条第2項の規定による厚生労働大臣の定めの例による」とされているから、厚生労働大臣が決めている。2番目の必要な費用は、市町村ごとに医療費を抑える計画はあるにせよ、結局、住民が支払うであろう額を計算するに過ぎない。(ちなみに介護保険では、この推計の方法まで国が決めている。)
 そして、保険料だけど、これも国民健康保険法で細かく計算方法が決まっているから、市町村が関与する余地は限りなくゼロに近い。(方法としては、市町村の一般会計から持ち出して保険料を安くするかどうかだけど、国は、これもやめるように厳しく言い続けている。)
 そうなると、「保険者」と言われている市町村がやることは、保険料の徴収と国保連合会への支払いだけで、これも徴収率が悪くなると国から調整交付金のペナルティーをくらう仕組みだ。
 つまり、市町村は、制度の実施には関与しているけど制度の設計には全く関与していないのだ。

 それなのに、保険者だからと言って、市町村の責任をことさら強調するのはいかがなものか。
 だったら、そんな責任の取れない市町村を保険者にした責任はどこにあるんだろう。

 舛添大臣は、後期高齢者医療で県が保険者にならなかった理由として「なぜ広域連合になって県にならなかったというのは、まさに責任を持つのが嫌だというのがあったのです。」とおっしゃっているけど、ならば法律を作る国がまず責任を持つべきじゃないですか。
 国が保険者になって責任を持つのが嫌だから県を保険者にしようとして失敗して、広域連合なんていう無責任な制度にしたんじゃなかったんですか?

 もし仮に都道府県を保険者にするんだったら、法律で決められている厚生労働省の権限を、今の5分の1くらいまでに減らす制度設計をしてください。

今日のぼやき:権限もないのに責任なんて取れないよ。

無責任の責任者出て来い

世の中では、国土交通大臣の失言と辞任問題で賑やかだ。

その影に隠れてあまり話題にならないのだが、舛添厚生労働大臣がこんなことをおっしゃっている。
日経新聞のWEB魚拓

後期高齢者医療について、「都道府県単位の広域連合による運営は無責任だった」とのことなのだが、そういう制度設計にしたのは一体誰なのか

私の記憶するところでは、当時市町村は、全国市長会・町村会とも市町村の事務にすることに反対していた。理由としてはあまりにも煩雑な制度で、人員的にも財政的にも対応は困難だということだったと思う。
そして、都道府県は、全国知事会が県が保険者になることには絶対反対との立場だった。理由は被保険者の補足や対応が困難なこと、また、元々国保の被保険者が対象の制度なのに、なぜ新しい制度になると県が保険者にならないといけないのか、というのもあったような気がする。

こう書くと、一般の国民からは、市町村と県の責任の押し付け合いに見えるかもしれないけど、実は国は、国が保険者になって責任を持つという議論は、最初から全くやっていない
業界の中にいる人間の感覚からすると、国民の老後に責任を持つんだから、国が保険者になる、という議論は十分にありえる。何と言っても、実際に制度を作って、その中身の細かいところまで決めているのは国だし、はっきり行って、市町村や広域連合の自由な判断の部分はほとんど、というより全くないのだから。
それに政府管掌健康保険や労働保険、国民年金は国が保険者になっている。

結局、厚生労働省は、あくまでも保険者は市町村という立場を推し進めるために、「広域連合」という形式を「強引に」採用したのだ。(個人的には、国は自分たちが保険者になりたくなかったからこういう形にしたんでしょう、と思うんだけど。)
さらに、実際にどれだけあるかは分からないけど、いくつかの県の広域連合には、国の職員が事務方のトップである事務局長として派遣され、制度の創設と開始の準備の指揮をとっていた。
つまり、「無責任」な広域連合を作った「責任者」が厚生労働省であり、さらに、その運営の「責任者」が厚生労働省の職員というところもあるのだ。

多分、舛添大臣の発言を聞いて「そうか、広域連合の運営を記事や番組にすればいいんだ」というアホなマスコミも出てくるだろう。もしかしたら、大臣の発言はその線を狙ってのものかもしれないな。

ついでに、舛添大臣は、こんな発言もしている。
Yahoo

分かっていたんだったら、ちゃんと対応するのがあなたの責任じゃないの?

今日のぼやき:タイトルのとおりです。そして、市町村やその職員に責任転嫁するのはいい加減にやめてください。